2012年6月26日火曜日

ソーシャルメディア上の人間像

映画を観て、ソーシャル上の個人と実際に会って話す個人とはどのような違いがありますか。映画だけでなく、自分の個人的な体験も交えて述べてください。


 違いは2点あげられます。
 1点目は「(ソーシャル上では)ウソがつける(理想の自分を演じられる)こと」。2点目は「「(ソーシャル上では)実世界でのつながりが無いからこそ本音が打ち明けやすいこと」です。

 1点目については、映画では主人公が自分の母親が死んだと言ってジョンをより追いつめていました。また、エイミーのソーシャル上での後半の私服と実際の私服の違いにも表れていたように思います。私の個人的な体験からいうと、ウソをついているという子はいませんが、理想の自分を演じていると思われる子はいました。高校時代にクラスではほとんど話さなかった子がソーシャル上ではガンガン友人申請を送っていたり、はじけたつぶやきなどをしていたことがありました。学校ではあまり話さないけれど、本音はいろいろな子と明るい自分で関わっていきたかったのかなと今になって思います。

 2点目については、映画ではジョンがチャットルームのメンバー全員に対して誰にも打ち明けられないであろう辛い過去を話していり、モデル?の子が自分をいじめた人の悪口を言っていたことに表われていたと思います。
個人的な体験ではありませんがOKwaveなどの質問サイトや、ネットの掲示板での会話には周りの人には言えない本心が詰まっていたりするのかなと思います。

 映画とはかけ離れますが、日本人のTwitterユーザーは匿名性がゆえに炎上が発生すると聞いたことがあります。3点目として「(ソーシャル上では)モラルが無くなる可能性があること」もあげられるかもしれません。

1 件のコメント:

  1. (✪ω✪ )確認しました。
    超絶遅くなってごめんなさい。
    うん、「最後に書かれている匿名だからモラルがなくなる可能性がある」というのと「炎上する」というのは繋がっていないように思えるんだけどなぁ。
    私がTwitterで炎上しているのを観るのは、「匿名だから自分勝手な事を言っている」のではなくて、「匿名だから本当は思っていたけれど実名では言えなかった事を言っている」人が多い気がします。OKwaveのように。

    各個人にIDが割り振られれば全てがひも付けされている(なにかやってもすぐばれる)ような窮屈な現実があって、それだけでは窮屈だからと別の世界を構築すればそこには自由がある代わりに補償はない。

    ざっくり言うとこういう事なんだけれど私は個人的に物質量のないものについては少し距離を置いて考える事が必要だなぁとは思います。

    つまり現実に還元出来るポイントを探してソーシャルでは振る舞うようにしている感じですね。元々別のものではなくてジキルとハイドのように一つのもの(一人の人)であるはずなので、のめり込む事はしないけど得た情報を咀嚼する必要はどちらの世界でもありそうですよね。

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